仏教・お位牌とはまったく関係ありませんが小県ろぐ(ちいさがた・ろぐ)氏の「恐怖」を題材としたショートショートを連載することになりました。お楽しみください。

あなたと夜と音楽と 第2話 柳よ泣いておくれ(アン・ロネル)

「ほほお、我が営業部成績最下位の木村君は、営業本来の外回りもせずにお手製の弁当を机で食べるってか?大した度胸じゃないの!」
山岡部長の声が、閑散とした営業部の部屋に響き渡った。木村洋二は思わず持ちかけた箸を置いた。目の前には母親から高校生の時にもらったバンダナの上に、花畑のような弁当が乗っていた。昨晩の夕食の残りの野菜炒めとコロッケ、今朝あつらえたウインナーソーセージの炒め、堅焼きの目玉焼きが納まっていた。他者から見れば大した弁当ではないが、木村洋二にとっては、まさに昼の「御花畑」だった。その花畑を前に、木村は身を固くしてうなだれた。
 「なあ木村君。壁の成績グラフ毎日見てるよなあ。自分がどのくらいの成績か解ってるよなあ」部長は木村の耳元に身を寄せて囁いた。はい。木村は口の中で呟いた。
「それがだ、他の連中は成績あげようと昼飯も喰わんで必死で外回りしとるんよ」
部長は咳払いをひとつした。
「木村君はどんな御身分か知らないが、ゆうゆうと快適な部屋でお昼ご飯を食べてらっしゃる。これはなかなか出来ることじゃないよ。そろそろ辞表でも用意しておいたほうが良いかも知れんなあ」
部長は勢いよく手を振った。その手がバンダナに引っ掛かり、花畑が宙に舞い、情けない音を立てて床に落ちた。部長はスマンとかなんとか口の中でもごもご言いながら立ち去った。遠くの女子社員達が立ち上がって顔を見合わせ、肩をすくめ、何事もなかったように座り昼飯の続きを食べ始めた。
 木村洋二のアパートは郊外の私鉄駅から歩いて十五分ばかりの古い木造二階建てで、上下併せて十二部屋あり、洋二の部屋は鉄の外階段を上がったすぐの場所で、木製のドアに名刺から切り取った「木村洋二」のネームが貼ってある。右隣は仲の良い老人夫妻で、近くの銭湯までもたれ合うように歩く姿を時折見かけた。左隣は木村より大分年上のくたびれたサラリーマンで、派手目だが不潔な感じの女を取っ換え引っ換え連れ込んでいた。
 結局昼飯抜きになった洋二は、いつものように午後から何の営業成果も得られず、暗い道をアパートに向かって肩を落として歩いた。小さな住宅が建ち並ぶ一角に、ぼんやりと明かりのついた店があった。布団屋だった。店といっても間口二間、奥行き半間ほどで、やたら横に長く奥に狭いおかしな作りの店だった。顔色の悪い痩せた夫婦が上の布団を下に、下のものを上にやっているのを時々見かけるだけで、とても商売繁盛とは思えない。ただ洋二の目を引いたのは店の前の三和土にあるふたつの小さな鉢で、見たこともない木が植わっており、土がいつもからからに乾いているのに不思議と枯れないことが気になった。
 体を引きずるように鉄の階段を上り、きしむドアをあけ、小さなキッチンを抜け、万年床に倒れ込んだ。
 そのまま眠り込んだらしい。小さなノックの音で目が覚めた。年期の入ったドアを開けると、若い、しかし美人とは言い難い女が立っていた。
「夜分、お疲れのところ申し訳ございません。木村様、木村洋二様でよろしいですよね。時々駅前のスーパーでお見かけしているんです」
洋二は、はあ、とくらいにしか返す言葉がなかった。女は続けた。
「実は駅前のスーパーで抽選がありまして、木村様が当選されたのでその御報告に参りました」
そう言えばスーパーで買い物をしたときに何か書いて応募箱に放り込んだ覚えがある。
「当選された方のお名前をスーパーで張り出しておいたのですがおいでにならなくて、本日が商品引換の期日だったものですから」
そう言って女が振り返ると、それを待っていたように暗闇から痩せた女が大きな包みを抱えて現れた。あの布団屋だった。
「おめでとうございます」
それだけ言って、女は一礼して布団屋と一緒に階段を下りていった。洋二はしばしぼう然としていたが、包みを部屋に引きずり込みばりばりと包装紙を破いた。柔らかな掛け布団が出てきた。俺もつきが回ってきたかな、洋二は小さく微笑んだ。それまでの重い掛け布団を部屋の隅に蹴飛ばし、新しい布団を引っ被った。布団は軽く暖かく、これまで味わったことのない幸福感に包まれた。このままずっと布団にくるまっていられたら、どんなに幸せだろう。洋二は深い眠りに落ちていった。
 次の日から木村洋二は無断欠勤を重ねた。電話にも出ない。山岡部長は若い部下を伴って木村のアパートを訪ねた。返事がないので大家を呼び、鍵を開けさせた。布団が真新しいこと以外は特に変わったことはなかったが、当然木村の姿はなかった。
 山岡部長は当惑気味に帰路についた。布団屋の前を通りかかったときに、見たこともない木が小さな鉢に植わっているのを見かけた。若い、しかし美人とは言えない女がひとつの鉢にたっぷりと水やりをしていた。鉢は合計三つあった。あとのふたつの鉢の土はからからに乾いていた。

●表題の楽曲名とお話の内容は一切関係ありません

あなたと夜(恐怖)と音楽と 第1話 アンダンテ・マ・モデラート(ブラームス)